学習障碍の要因は様々です。
注意欠陥・多動性によるケース、理解力の不足によるケース、情緒の不安定によるケースなど、それぞれの原因も身体、精神、環境など、様々なことが推測できます。なので、学習をすすめる場合も個々の状態を常に多面的な視点から観察・診断し、対応させる必要があります。場合によっては学習させないほうがよい時期である場合も少なくありません。
長期的に学習支援をしていく過程で、必ずぶつかるのが停滞期です。年代を問わず学習支援をスタートさせた当初は、その指導が適切であれば成果は上がりやすいものです。しかし、しばらくすると必ず伸び悩む時期が訪れます。その時に有効なのが「全問正解方式」です。
簡単に言えば、出題した問いが合っていようが間違っていようが、とにかく○をつけるのです。これには大きく2つの目的があります。
1つは、停滞期の学習は子どもにとってかなりのストレスとなる時期、つまり、学習しない方がよい時期なのです。ほとんどの場合が成長のスピードやバランスの相違によって起こるのが学習における障碍です。たとすれば、今理解できないことが来年には理解できるということはよくあることです。しかし、ここで学習の継続習慣を止めてしまえば、学習意欲に弊害を生じてしまう可能性があります。なので学習は継続させる。そしてそのストレスを軽減させるために“正解”という報酬を与えるのです。学習障碍を抱える子どもは、高学年になるにつれて何事に対しても自信を喪失してしまう傾向があります。勉強することが嫌いになっては増々フォローアップが困難になります。内弁慶でも、自分は出来るという希望を失わせないような処置です。
2つ目は、課題にたいする理解を整理して1つずつ習得させることです。この場合は、今理解してほしいことができていれば、最終的に答えが間違っていても○にするということです。たとえばADHD傾向の子であれば、理論は理解していても、途中の計算でミスしてしまうということがあります。それを×としてしまって自信を喪失させるよりも、○にして意欲を高めることを優先するべきだという考え方です。
「最終ゴールをどこに設定するか・・」それが学習支援の目的だと考えます。例えば義務教育修了期に普通高校へ行くか、高等養護へ行くか、進学しないか・・・、それはそれ自体が目的ではなく、その後の人生を考慮し、可能性を検討し、彼が地域でより生き活きと暮らして行けるための選択です。今の点数で彼を正確に評価する必要性などないとぼくは考えています。
前提として、学習障碍には様々な要因があり、特徴も個々に異なります。同じ学習項目に対するアプローチも、個々に応じて様々なのです。つまり、ある子どもに対応できたプログラムが別の子に通用するということにはならないのです。
しかし、性質からのアプローチによって、ある程度の体系化が可能なのでは…ということが解って来ています。
例えば「漢字」の学習について。。
通常の場合であれば、カタチで覚えるタイプの子と意味で覚えるタイプの子に大きく分類できます。その両方のバランスがスムーズに機能する子なら簡単に漢字を覚えることが出来ます。
しかし、学習障碍を抱える子の場合、このどちらも苦手であったり、両方が関連し合わないことで覚えることが苦手となってしまいます。
漢字の記憶には「積み重ねの記憶」という要因が強く、一つの漢字から幾つかの別の漢字を連想し記憶する。つまり、画数の少ない漢字をまず覚えることで、複雑な漢字を認識する能力が高まるというプロセスがうまれます。
しかし、学習障碍の子に多いケースはそれぞれの関連性が付けにくいのです。
そうなると、漢字はどれほど難解な図形をしているのか想像もつきません。
漢字の持つルールを認知することなく漢字を記憶するのはとても困難であり、不可能とも言えるでしょう。誰もがそう感じるはずです。
しかし、これを解消する一つの方法に“音”を使った学習法があります。
「絵描き歌方式」
「タテ・タテ・ヨコ・ヨコ…」と音に出しながら漢字の練習をすることで、記憶の擦り込みが成されやすくなります。さらに部首ごとに歌を確立していくと、複雑な漢字も線の本数やはねなどを間違えずに書くことができます。
カタチの認知力が低い場合でも歌の通りに手を動かすことで複雑な図形を書くことができるのです。
彼等は記憶力が悪いのではなく、記憶はしているがそれを表現することができない、ということがこのことからわかります。
「学習障碍」というカテゴリーが確立され、教育の現場に取り入れられたおかげで、多様な子どもたちへの様々な対応がなされるようになりました。学校だけではなく、PTAや地域全体での取り組み等も活発化しています。それは大変いいことであり、何らかの障碍を持つ子どもたちの辛さを大幅に軽減する動きであることは間違いありません。
しかし、その一方で付き纏うのが本人の「自覚」への苦しみです。
ボーダーと呼ばれる彼等。つまり、健常と障碍の際にいる子どもたちがその対象です。
例えば学力的には他の子と変わらない、あるいは他の子以上である。しかし、コミュニケーションという意味で問題がある。所謂コミュニケーション障碍があるという判定。この曖昧な判定に、本人およびその親は苦しまざるを得ないのです。
コミュニケーション障碍といっても、とても幅広いとても曖昧な見解です。
例えば、彼は言葉がしゃべれないわけではない。ただ、友だちとのトラブルがとても多いということで「障碍」と見なされるという結果へ落とし込まれてしまった。それも中学生になってからのこと。考えてみてください。ある日突然「あなたは障碍者です」と言われたら・・・。
医療的には、彼は「アスペルガー症候群」と診断されました。所謂、知的障碍のない自閉症ということです。自閉症は、特有の感じ方、もののとらえ方をし、独自のこだわりを持つとされています。このことが、彼の対人関係でのトラブルの原因であるということです。
ここで問題なのは、彼がアスペルガーが否かということではないということです。
たとえ彼がアスペルガーだとしても、ある日突然、障碍者扱いをしたらどうでしょう。それがはたして彼のためなのでしょうか?
アスペルガーの特性を持ち、思春期に近づくほとんどの子に見られるのが、2次障碍的言動です。別の言い方をすれば環境障碍となる。
つまり、アスペルガー的特性が原因で受ける違和感や劣等感が原因となった自己否定的な性質や、それに伴う言動です。そしてそのほとんどが親や教師など周囲の大人たちの評価によるものなのです。彼の場合も友だちと諍いを起す原因の多くはアスペルガーが直接起因しているのではなく、それによって抱く友だちとの距離感や言葉を諦めてしまった結果、あるいは追い込まれた時の回避方法の癖のようなところからきていると推測できます。
ただし、これは親や教師の責任と言っているのではありません。
むしろ、その逆です。彼が犠牲者であるとすれば、親もまた犠牲者です。
彼の普通とは異なる言動を理解することができず、不安を抱くのは当然のことです。それは画一的な基準しか存在しない世の中に原因があるのだから。
アスペルガーは200人に1人と言われていますが、それは障碍者として社会的支援や医療的処置を必要とする症例についての割合だと、ぼくは考えます。少なくとも、その特性を内包している人間はその10倍は存在するでしょう。
また、アスペルガーとされながら、社会で活躍する人物、有名人もたくさんいます。
そこから解ることは、その特性は部分的には能力と呼べるものだということです。では、その特性を能力となるようにするために、なにが必要か?
それは家族の笑顔です。これは情緒的な表現ではありません。
彼の言動に不安を抱くことなく、ゆったりと構えて見ていてあげること。
違うことはイコール悪いことではないと考えること。
そのための親や周囲の大人たちの知識が必要です。
「親が安心すれば、その日から子どもは変わる」・・・それがぼくが彼等と関わる時に一番大切にしていることです。
トランプを表(数字の書かれている方)にしてすべて並べ、相手にその中の一枚を、選んでもらう。そのカードは頭の中で決めるだけで、内緒にしてもらう。
相手に質問を4つするだけでそのカードを当てることができる。
もちろん数字やマーク、色等、直接カードと関係する質問はしない。一種のマジックである。
心理学的考察は、しばしばこのような遊びを可能にする。
その一つとして、受験に合格するためのアプローチが可能だ。
今回は、そのことを少し書こう。
まず、アプローチの前に認識しなくてはならない前提条件がある。
1.日本における受験問題の性質をある種のクイズとして認識すること。
2.その性質の70%は暗記、つまり覚えるという脳の作用によって正解が導かれるということ。
3.受験に成功するためのアプローチと日本の学校が行っているティーチングプログラムとはまったく別のものであること。
4.受験勉強は1週間に4日以上しない。
5.受験生の食事は4時間置きに1回に最低40分かけて、通常の食事の量の半分をとる。
6.睡眠時間は学習内容に即して変化させる。
つぎにプログラムについて(すべては書けないのでダイジェストです)
まず、1週間のスケジュールを1日目は読書の日、2日目は記憶の日、3日目は問題の日、4日目は検索の日とする。
読書の日はとにかく読むだけの日だ。教科書、参考書、専門書、問題集も科目に関わらず読み続ける。できれば声を出して読む。問題集を読んで、間違っても答えを出そうとしてはダメ。読むだけ。勉強部屋など1カ所で読み続けるよりも、電車の中、散歩して公園で、喫茶店でなど、こまめに場所を変えるのも有効。受験に関わる本ならなんでも、できるだけ多くの本を読む。読むだけなので週に一度でも、例えば1年間で相当の量の本を読むことになるはず。
記憶の日は、言い換えれば「書く日」だ。それぞれの教科の重要なワードはもちろん、気になる言葉や数字、単語、熟語、数学なら数式などをノートに書く。意味を考える必要はない。ランダムでいい。教科ごとにやる必要もない。とにかく覚えるべきワードをひたすら書き続ける日とする。その際、同じワードを何度も続けて書く(従来の漢字練習などの)方法は有効ではない。とにかくより多くのワードを書いていく。例えば週に1日でも、1年間で10周はするはずである。気づいた時にワードの追加はその都度増やす。
問題の日は、問題集をやる日。ただし、基礎問題はやらない。問題集の中の応用問題など難易度の高いものだけを選んでやる。はじめから答えを見ながらやること。なので一冊はあっという間に終わってしまう。終わったら別の問題集を購入して同じようにやる。必要な教科すべて同じようにやる。これは受験日の2ヶ月前まで続ける。
検索の日はインターネットを活用する。この日は記憶すべきワードの中から気になるワードを各教科2~5個づつピックアップしネット検索を利用して徹底的に調べる。調べた内容の中に知らない言葉、名称、人物名、数字などがあったら、さらにそれを調べる。「こんなことは試験に関係ないな」と思ってもとことん認識が深まるまで調べることが重要。思ったより時間を費やすので注意。たぶん1日で各教科のワードを調べると20ワードが限界だろう。しかし、これを1年間続けたとすれば相当のワード検索をしたことになる。
残りの3日間は絶対に勉強をしてはいけない。それは受験当日まで守ること。その時間の使い方は自由だ。もしも受験がなければ・・・自分はどういう時間を過ごしているかを考え、自然で満たされた時間を過ごすこと。成績が上がらないからといって、焦りは禁物。この3日間は受験のことを忘れることが大切である。スポーツをするもよし、絵を描くもよし・・・、音楽を聴くもよし・・・。
4時間置きの食事は、例えは朝7時に朝食を食べたとすると次は11時、次は3時、次は7時、次は11時となる。学校に言っているために不可能であれば、昼は通常時間に量を半分に。放課後軽く食べる・・・と多少ずれてもよい。少ない量を1日4~5食とする。
睡眠は最低1日3時間ということを守ればよい。6時間以上はダメ。ただし問題の日だけは8時間睡眠をとること。記憶の日はきわめて少なくてもよい。
深夜1時以降の勉強はしない。。。
他にも細かなアプローチはいろいろあるが、きりがないのでこれぐらいにする。
以上はすべて心理学的な根拠に基づいたプログラムである。
もちろん100%の成功は保証できるものではない。ただし、50%の確立であれば90%にまで引き上げることは保証できる。あとは本人の資質の問題だ。