この有意義な時期

小学校高学年から中学生の相談で最も多いのは“不登校”です。
言い換えれば、学校に行かなくなって、はじめて周囲は問題に気づくということです。最近は「不登校」という言葉もメジャーになり、1ヶ月も学校に行かない日が続くと即、相談というケースも増えています。でも、それも善し悪し。。。
周囲の対応が早いことで救われるケースももちろんありますが、本人に考えさせる時間を与えず、問題を大げさにしてしまうことで、所謂レッテルを張ってしまうことになる場合もあるからです。
子どもとは悩むものです。というより悩まなければいけないものだと私は考えます。しかし、今の子どもたちには、悩む時間が与えられていない・・・そんなことを感じることがあります。

 

モンスターペアレンツに悩まされる教師の話しをよく聞きます。世代論や時代のせいにするのは好みませんが、確実に変わったと言えるのは、そうした教育に対する親の関わり方だと思います。
「過干渉」それが子どもの成長を妨げていることは誰もが気づくことでしょう。子どもが行動する前に道筋を教えてしまう。子どもが失敗する前に回避することを示してしまう。それでは子どもは成長しません。子どもは子どもなりに考えて行動し、失敗して、そうならない方法を習得するものです。理屈では誰もがわかっていても、今の現実はそうではないということです。

 

アダルトチルドレン(AC)は、すでに心理学の世界では使われなくなりつつある言葉です。しかし、彼等の状態を言い表した言葉だと思います。かつてはアルコール依存症で暴力を振るう親の子どもが持つ特有の症状を指してそう言われていました。しかし、やがてその言葉は一般的家庭に育った人たちにも用いられるようになり、さらにその症例研究から、過干渉が影響していることが解り始めています。考えずに育った人、つねに親の示す答えだけがすべてだと判断してしまう人・・・それによって親の評価だけが基準となってしまい、自分の基準というものを構築できなかった大人を指す言葉と変化していったのです。

 

不登校の子どもたちは幸いである。そう思えてなりません。なぜなら、登校し続け親の示す評価だけに従っていけば、いずれACと診断される大人となるかもしれなかったからです。彼等は不登校することで、親の基準を裏切ったのです。つまりそれは、大きな意味での救いのチャンスなのです。

 

であれば、この時期を有意義に過ごさせてあげてほしい。「学校に行きなさい」という親の基準ではなく、自分で考え自分で悩む環境をつくってあげてほしい・・・ぼくはそうかんがえます。